超人への道

頑張らずに努力する方法を示します。

教育関係者へ!講義を今すぐやめるべき理由12選【これでもあなたは講義をしますか?】

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「学生が授業に集中してくれなくて私語が発生するんだけど、どうしよう?(+_+)」

「高校や大学に行くべきかな?」

「どの授業をとればいいんだろう、、、?」

「あの人の講演に行ったほうがいいのかな~??(^^)/」

 

この記事はこんな疑問を持っている方に向けて書きました。

 

こんにちは(^^)/

フリーランス1年目の出川ルイと申します。

 

 私は中学校から大学まで、学校の授業に対して良い思いがありません。(~_~;)

授業のレベルが私に合わなかったからです。

(高校は劣等生、それ以外は優等生として。)

 

希望に満ちて大学に入ったら、数々の悪質な授業を受けました。(+_+)

「これはいけない!」と思って、授業を改善すべく、多くの本を読んで理論武装をしましたが惨敗しました。

私の力不足で何も改善されませんでした、、、(´Д`)

 

今回は読書で得た知識と私の経験を踏まえて、講義のデメリットをまとめました。

かなり長文ですが、目次を見て、興味を持った章から読んで下さい。

アイキャッチ画像:Nikolay GeorgievによるPixabayからの画像

 

1.はじめに

講義を5分間以上連続して、先生のほうから何かを話して聞かせること」と定義します。

 

これから、講義のデメリットを、印刷された文字を読むことと比較して述べます。

プリントなど本でなくても、印刷された文字を読むことを便宜的に「読書」と呼びます。

 

2.デメリット

2.1.無駄が多い

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Shingo_NoによるPixabayからの画像

・伝達速度が遅い

講義と読書はどちらの方が速く知識を伝達できると思いますか???

もっと簡単に言えば、どちらの方が速く聞いたり読んだりできますか?

 

当然個人差はありますが、講義より読書の方が速いです!

だいたい2倍の速さです!!!( ゚Д゚)

 

英語にはWPM(words per minute)という指標があります。

これは1分間に理解できる単語の数です。

 

ネイティブスピーカーが話す場合、「125~200a」です。

読む場合、「250~300b」です。

注釈には「講義や講演なら、毎分125語が平均レベルのようです」と書かれています。

(青谷正妥『英語学習論 スピーキングと総合力朝倉書庫、2012年、113ページ)

つまり、講義よりも読書の方が2倍速いです!!!

 

これは日本語の場合も同様でしょう。

 

ということは、講義でなく読書にすれば、授業の時間が半分で済みます。

例えば大学で、1回90分の授業が15回あるとすると、675分つまり11時間ほど時間が浮きます。!!( ゚Д゚)

 

・冗長

先生は自分の講義を録音し、学生は講義をしっかり聴いてみてください。

どれだけ冗長な言葉や間がありますか?( `ー´)ノ

 

「えー」や「まー」などの余分な言葉を言ったり、2回同じ説明をしたり、動画やスライドショーを映すのに時間がかかったりしていませんか?

 

特に文章が不正確なのが許せません(激怒)

 

先生は大学生のレポートや論文を添削するでしょう。

それと同じ基準で自分の講義の内容を添削してください。

どれだけ不正確な日本語が使われているでしょうか。

 

大学教授である宇佐美氏は学会の発表について次のように言います。

 (前略)不快感の対象は、原稿無しの発表である。メモあるいはあらすじは書いてあるらしい。それをもとに、言葉を考えながら話しているのである。

 思考の内容は言葉に担われて作られ伝達されるのである。ところが、このような発表者は十分に吟味しつくした言葉を用意する必要を感じていないらしい。つまり自分の思考は、その程度の粗雑なものだと自ら表明していることになる。その場で考え出した言葉を口にするのだから、かなりいいかげんになる。例えば、「・・・・・・です。」、「・・・・・・のです。」、「でしょう。」「・・・・・・と思います。」の区別などどうでもいいことになってしまっている。(宇佐美寛『大学授業の病理ーFD批判東信堂、2004年、66ページ(宇佐美寛『読み書きにおける論理的思考』明治図書、1989年、167-168ページより転載))

 

 学会とは違って、授業は学生を相手にしている。学生に悪影響を与えつづけているわけである。(同書、67ページ)

まさしくその通りです。

 

先生は学生に「正しい日本語を使え!」と言うけど、自分はできていないなんておかしいですよね?

正しい日本語を使って、冗長さを無くせば、2割くらいは時間短縮できるのではないでしょうか?

 

・先生の言葉が聞こえない時がある

先生によって音量や音域、発音は違いますよね。

小さい声で話したり、発音が不明瞭な先生を経験したことはありませんか?

 

マイクが途中で電池切れになったり、マイクの不具合で耳障りな高音が出る場合もあります。

 

対して、読書はどうでしょうか?

誰が文章を書いたとしても、字の大きさやフォントの違いはありますが、大体同じでしょう。

(ごく稀に、ページが無かったり、インクがかすれてたりしますが。笑)

つまり、読書はたいていの場合読めます。

 

このように、講義は聞こえないリスクがあり、時間を無駄にします。

私が大学生の時は、2から4回の授業に1回くらいの頻度でありました。

(マイクの電池切れは多かったです。)

 

これに関しては、小さなデメリットですが、読書ならば到底起こり得ません!!

 

・自分が欲しい情報だけを選択できない

読書なら目次があったり、読み飛ばせれるので、自分の欲しい情報だけ読めます。

 

対して講義はどうでしょうか?

 

アウトラインを授業の初めに用意する先生もいますが、講義を聴き飛ばすことはできません!!

自分の欲しい情報だけが、授業の前半や後半など特定の時間帯に固まっていれば、それ以外の時間は内職(授業中にする他ごと)ができます。

 

しかし、そうはいきません!

例えば、歴史の授業でマゼランの話をするとします。

「マゼランは世界一周をした。」と基本の説明をした後に、「実はマゼランはフィリピンで死んで、他の船員だけ一周できたんだよ。」とマイナーな説明します。

そして、次のテーマでも、同様の順番で、基本の説明の後にマイナーな説明をします。

 

これはどの教科においても、だいたいあてはまります。

 

優秀な人にとっては、基本的な知識は既知で、マイナーな説明だけ欲しい場合があります。

このような場合、「聴かなくてもいいや」と「これは聴き逃したらダメ」という状態を繰り返します。

しかも、欲しい情報がいつ話されるのかわからないので、いつも聞き耳を立てなければなりません(>_<)

 

つまり、欲しい情報は散らばっていることが多く、それを聞き逃さないように結局講義を全て聞くので、時間を無駄にします。

 

読書なら優秀な人は早く終われますが、講義はそうはいかないです!!

優秀な人なら数分読んで、あとは他の勉強もできます



今まで見てきたように、講義でなく読書にすれば、少なくとも半分以上時間短縮できて、人によっては数分で終わることもあるでしょう。

 

講義は、中学や高校なら1クラス30から40人くらい、大学なら多くて100人以上の時間を無駄にしているわけです!

これが日本全国でほとんどの学校で行われているのでしょう。

どれだけの経済的損失ですか!!!!

 

2.2.「落ちこぼれ」が生まれやすい

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Photo by Arun Sharma on Unsplash

・繰り返し講義を聴けれない

「先生、さっきの説明もう一回してくれませんか?」

こんなことを言ったことはありますか?

小学校や中学校ではクラスに1人ぐらいはいたかもしれませんが、多くの人は言ったことはないですよね。

 

つまり、少数の学生が理解できなくても、先生は講義を繰り返しません。

 

対して読書なら、自分が理解できない箇所は何回も繰り返して読めます!

 

・スピード調節ができない

みなさんは次のような経験はありませんか?

先生が黒板に書いた数学や物理の数式を理解している途中に、先生は次の分野の説明をしている。

私が高校生の時は落ちこぼれだったので、よくありましたね。

 

逆に小・中・大のときは、もう理解してるから、次の話をしてくれと思っていました。

 

対して読書なら、自分が理解しているところははやく、理解できないところはゆっくり読めますよね。

 

・立ち止まって考えれない

「先生、ちょっとタンマ。まだ理解できてないよー」

このように言ったことはないかもしれませんが、身振りでこのように表現した人はいるのでは??

 

しかし、大学で100人くらいの大人数の授業になると、なかなか言えないですよね。( 一一)

このように言ったとしても、「お前ひとりの授業じゃないんだ!」と言われそうです。

 

つまり、自分が理解できないところがあっても、立ち止まって考えれないので、理解できないまま、先生の次の話を聞かざるを得ません。

 

数学や物理など、一度理解できないと、その後の説明も理解できなくて、「授業の後半全くわからんかった」と経験したことはありませんか。

 

私が高校生の時は、前回の授業を理解できていなくて、今回の授業が丸々理解できなかった経験をたくさんしました。

高1の後半から高3の半ばまで無駄にしました、、、(+_+)

 

こういう人たちにとって講義は拷問です。

 

私の家庭教師の教え子に中3の生徒がいました。

彼は中1から2年間不登校でした。

彼にとって中3の時の授業は拷問だったはずです。

社会や理科などは前提知識をそれほど必要としないので、少しはできましたが、

それでもオール1でした。

 

これは彼が原因ではなく、講義をしている中学校の教育システムが大きな原因です。

 

先生や、既存の教育システムを作った政治家や官僚は成績が優秀でしょうから、彼らの気持ちを理解できないのでしょう。

 

 大学教授である宇佐美寛氏は次のように言います。

 本を読むのならば、ゆっくり自分のペースで考えながら読める。くり返し読める。書き込みをしながら読める。それなのに、なぜ、講義という劣悪な方法に頼るのか。

 (宇佐美寛『大学授業の病理ーFD批判東信堂、2004年、25ページ)

 

講義から読書に切り替えれば、高3の学生であっても中1の教科書でも読めるわけです。

つまり、著しく「落ちこぼれ」が減ります!!

 

劣等生にとっては拷問である講義をなくしませんか???

 

2.3.私語が発生しやすい

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Photo by Mimi Thian on Unsplash

・先生の話す声で私語が聞こえない

私が大学生の時、受講した授業で私語に厳しい先生がいました。

しかし、その先生の授業でさえも私語をする学生がいました。

 

先生の話しているときだけ、先生の音量よりも小さい音で私語をしていました。

つまり、先生が話さなくなると、私語をやめるんですね。( ゚Д゚)

 

この場合は先生が気づかないです。

 

前の方の席にTA(Teaching Assistant)が座っていて、私語に気づいてると思うのですが、私語をする学生を注意しませんでした。

(度胸がないのが、めんどくさいのか、、、)

 

対して読書ならば、先生が話さないので、とても静かになり、私語に容易に気づきます。

現に大学教授である宇佐美寛氏の授業には私語が無いそうです。

 

・先生が話しているため注意できない

当然のごとく、先生が話しているときは私語をする学生を注意できませんよね。

 

私が「私語を無くしてほしい。」と言っても、ほとんどの先生は聞く耳を持たずでしたが、

たまに注意をする先生もいました。

 

しかし、教壇で注意する場合は、学生がなめていて、注意後しばらくしてから私語を再開します。

 

私語をする学生の前まで行って注意する先生が一人だけいて、私語がほとんどありませんでしたが(それでもありました。)、注意している間は授業が中断し、無駄な時間が生まれます。

 

対して読書の場合、私語をする学生がそもそも少ないでしょうし、仮に私語があって先生が注意しても、他の学生は気にせずに読めばいいので授業が中断しません。

 

・集中していない人が多い

上記2点が理由で私語をする人は授業に集中していないでしょう。

また、私語をする周りの人も、私語がうるさく授業に集中できません。

 

集中していないと私語が発生しやすくなります。

そうすると、また周りの人が集中できなくなります。

こうして私語が拡散します。

 

他にも2.1.や2.2.で述べたように、「落ちこぼれ」や無駄な時間が発生しやすく、学生は授業を聞かずに、私語や内職(他ごと)をします。

 

さらに他の理由もあります。

 大学教授である宇佐美寛氏は次のように言います。

一、教師が話して聞かせることを理解するためには、学生は、すでにそれ以前に、必要な概念を持っていなければならない。(この「必要な概念」を「予備知識」と言いかえてもいい。)ところが、学生は、ひどく無知である。だから、時々「○○という語を知っていますか。」「△が・・・・・・したという事実を知っている人は手を上げなさい。」などと言って、彼らの頭の中が現在どうなっているかを探らなければならない。相手の頭の具合いを確かめなければ、何をどう話せばいいのかは決まらない。これをせずに長時間一方的に話しつづけるのは独善である。(だから私語が生ずるのである。)

二、学生は話の聞き方(理解のしかた)がわかっていない。話の構造をどうとらえるか。どこを、なぜノートすべきか。それがわかっていないのである。だから、彼らは、ぼんやりと聞いている。聞き方を教える(緊張のしかたを教える)指導をときどきするべきである。長時間一方的に話しつづける余裕は無い。

(宇佐美寛『大学の授業東信堂、2004年、28~29ページ)

これは正しいのですが、読書においても同様に言えます。

ですが、2.1.や2.2.で述べたように、読書の方が理解しやすく集中するでしょう。

 

私が大学生の時、同じ学科の多くの人が、授業の内容を理解せず、表面的な語句を覚えているだけでした。

このように、多くの学生が理解の仕方を知らない現実を直視すべきです!!

 

こういう原因が密接に相絡まって、講義は私語が発生しやすくなるわけです。

 

2.4.特定の時間・場所でしかできない

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Photo by Sam Balye on Unsplash

・決められた時間に決められた場所に行かないといけない

遠くからきている人や朝起きれない人は、朝の授業に来るのは大変でしょう。

 

対して読書は、自分の好きな時間に好きな場所で読めます。

 

・欠席・遅刻がある

「今日は、本が海外で学会があるから休講だってよ。」

こんなことはありえません。

 

講義の場合は先生が欠席したり遅刻したりします。

(先生の中には遅刻しても謝らない人もいます(怒))

 

本を学校に持ってくるのを忘れる場合もありますが。

だから、読書は授業中に学校ではない場所(例えば家)で読ませるべきです。

 

大学教授である宇佐美寛氏は次のように言います。 

 授業は、一定の時間、一定の空間に、学生が集団で存在するという条件に合った営みであるべきである。

 講義で、つまり口頭で言って、知らせたいことならば、予めそれを書いた本(資料)を読ませればいい。

(宇佐美寛『大学授業の病理ーFD批判東信堂、2004年、25ページ)

ごもっともです。

 

つまり、授業は特定の時間・場所でできることをすべきなのです!!!

どれだけ多くの先生が、どこでもできる授業をしていることでしょうか?

 

3.反論

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Photo by mostafa meraji on Unsplash

3.1.読書だと読んでるかわからん

その通りです。

しかし、同様に講義も本当に聴いているかわかりますか??

 

音が学生の耳に伝わっているから、学生が聴いている・理解していると考えるのは大間違いです!!!!!!

私が大学生の時、同じ学科の多くの人にとって、講義は念仏のようにただの音です。

その証拠に、彼らは講義をきく姿勢ではなく、内職ばかりしています。

 

一部聞いている姿勢をしている学生もいるでしょうが、彼らはどのくらい理解しているのでしょうか。

また、それを質問して確認する先生はどのくらいいるでしょうか。

 

小中学校では頻繁に質問が行われていましたが、大学では皆無です(~_~;)

おそらく発問」という言葉さえ知らないのでしょう(+_+)

 

今まで述べたように、読書より講義の方が、授業を理解できていない学生が多いです。

ゆえに、聴いていない学生は多いです!!!

 

3.2.ノートにまとめるから理解が深まる

「講義はノートにまとめる行為があるから記憶が定着しやすいんじゃない?」

その通りです。

ノートにまとめた方が記憶が定着しやすいのは確かでしょう。

 

しかし、同様に読書においても言えませんか?

読書でも、自分が理解しにくい箇所を他の場所(例えばノート)にまとめ直せば、理解が深まります。

 

そもそも講義では、多くの人が理解せずに黒板を写しているだけではありませんか?

黒板を写すのに必死て理解がおろそかな学生は多いでしょう。

 

もし心当たりがある方は、ノートの取り方をコチラの記事に書いてあるのでご覧ください。(「3.1.授業中には何をする?」)

 

sekaiwokaeyo.hatenadiary.com

 

3.3.要約した知識を教えたほうがいい

「教科書の知識は詳しすぎる。要約した知識を教えるべき!」

これは論点がずれていますね。

 

仮にそうであるとしても、活字にして読ませるべきです。

講義は非効率であることは今まで述べたとおりです。

 

教科書などの本が不適切なら自分で書けばいいだけです!

アメリカの物理学者であるリチャード・ファインマン氏は、教師の時、講義だと学生が理解できないと言うので、物理学の名著である「ファインマン物理学」を書きました。

 

大学の先生は論文を書いているはずなので、本くらいは余裕で書けるのではありませんか?

 

そもそも、要約した知識を教えるべきでしょうか??

多くの先生は黒板に文字を書きます。

スライドを使う先生もいます。

私が大学生の時は、スライドを使ってプレゼンテーション風に講義をする先生が割といました。

 

黒板やスライドはスペースの関係で要約した内容を書かざるを得ません。

多くの先生は、要約した内容を書かせた後に具体的な説明をしますが、

中には説明をしない先生もいます。

(特に大学の先生は顕著です。)

たまにいる悪質な先生は、プレゼンテーション用のスライドを印刷した紙を配っただけで説明をせず終了する人もいます。(~_~;)

(こうするなら、正確な日本語の文章をワードなどに書いて配るべきです。)

 

はたして、これで学生は理解できるでしょうか?

 

大学教授である宇佐美寛氏は次のように言います。

 板書は、それに要する時間の関係で字数が限られる。自ずから、まとめて短く言い換えた言葉を書くことになる。つまり、もとの具体的な事実の記述からは遠く離れるのである。もとの事実の具体よりもまとめた抽象の方が本質であり価値が有るという間違った思想を板書によって養いつづけているわけである。しかも、教師の方でまとめて字に書いてやるから、それを写せばいいという甘やかしである。さじで食物を口に運んでやるspoonfeedingである。(宇佐美寛『大学授業の病理ーFD批判東信堂、2004年、48ページ)

まさしくその通りです。

 

自分たちの都合で、要約した知識を教えているだけではありませんか??

給料をもらっているのに、学生のための授業をしないのですか?

 

3.4.読書が苦手な人はどうすんの?

反論するときは、自分の主張に対しても同様に言えるか確認すべきです!

若者言葉で言えば、ブーメランを意識すべきです!!!

 

読書が苦手な人がいるのと同様に講義が苦手な人もいます。

(私はそうでした。人の話を長時間聴くのは辛いです。また、私語があると集中できなくて先生の話を聴けませんでした。)

 

こう主張するなら、読書が苦手な人がどのくらいの割合いるか調べましたか?

根拠もなく反論するのですか?

 

実際は、読書が苦手な人の方が多いでしょうが、私が今まで述べてきたデメリットを覆せますか?

総合的に判断してください。

 

また、現代人の多くは読書からは逃れられないでしょう。

企業や役所では文書でやりとりをしたり、ビジネスメールを読んだりするでしょう。

また、最近はYouTubeなどの動画の情報もありますが、依然として本は存在します。

特に大学生は、研究するときに論文で情報を得るのがメインです。

 

つまり、授業中に読書の訓練をさせるべきです。

 

肉体労働者は、仕事に読書は不必要かもしれませんが、

低賃金の仕事をやめたいのであれば、読書をして知識を身に着けるべきです!

現在の教育システムは、彼らにスキルアップの道を与えていません。

 

なんとむごいことでしょうか。!( ゚Д゚)!

これを機会の不平等と言います。

 

読書ができず読解力が無い人は、失業したときに独学をして、新しい仕事につけれるでしょうか???

今までは読解力を必要としない仕事に転職すればよかったのですが、これからAIが出てくるとそうはいきません。

以前書いた記事には、年間100万人以上の失業者が出ると私は予想しています。

 

sekaiwokaeyo.hatenadiary.com

 

現状では読書の方が有益な情報を得られます。

これに関しては、以前にブログを書いたのでご覧ください。

sekaiwokaeyo.hatenadiary.com

 

もしかしたら、ブラック企業で上司から、長時間説教されるかもしてませんが、こんな講義は聴く必要はありません。

聞き流しましょう。

今まで述べてきたように、優秀な企業は講義はせず、読書をさせるでしょう。

 

学会発表は講義だと言うかもしれません。

その通りです。

ですが、論文など読書も必要なので、授業に読書の訓練もさせるべきです。

現状の講義がメインの授業はおかしいです。

 

3.5.講義は実験などデモンストレーションできる

主張がお門違いですね。

 

私は講義を「5分間以上連続して、先生のほうから何かを話して聞かせること」と定義しました。(1.はじめに)

 

デモンストレーションは講義ではないです。

 

実験の背景や手順、結果などを長々と説明したいのであれば、読書させるべきです。

 

MITの教授であるウォルター ルーウィン氏は授業中に振り子などの実験をしていますが、これはステキな授業です。(『これが物理学だ! マサチューセッツ工科大学「感動」講義

 

デモンストレーションを動画に撮って、授業外に見させるのも一つの手ですが、

もう既にYouTubeに優れた動画がたくさんあるので、それを家で見ておくように言いましょう!

 

詳細に観察するには生で見た方がいいでしょう。

これは授業でしてもいい行為の一つです。

 

3.6.そんなに言うなら、あなたがやってみれば?

おっしゃるとおりです。

いずれ、講義ではない授業をするつもりです。

 

しかし、大人数相手の授業をした経験がない私でも批判はできます。

(ちなみに家庭教師で4人の生徒を教えた経験はあります。生徒の理解が追いつけなくなるので、絶対講義はしません!!!かわりに発問を頻繁に行います。

 

ですが、実際に経験が無い人の主張は説得力に欠けるんですよね、、、

説得力を補うために、大学教授の宇佐美寛氏の発言を引用しましたが。

 

4.講義と読書の比較

講義と読書の特徴を比較した図を次に示します。

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これを見れば、講義がどれだけ有害か分かるかと思います。

 

5.立場別の行動

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Photo by iam Se7en on Unsplash

講義は必要であるかみなさんはどう思いますか??( `ー´)ノ

 

多少有効な反論がありましたが、総合的に判断すれば、講義のデメリットの方が大きいです。

つまり、講義は非効率であり、無くしていくべきです。

 

これから、どの立場によってどう行動すべきかお話しします。

 

5.1.先生

「講義をやめるなんてめんどくさい!!」

「講義でなくどういう授業をしたらいいの?代案を示してよ!」

 

ここまで読んで頂けた先生の中には気分を害された方もいるかもしれません。

申し訳ございません。m(__)m

 

しかし、学問を教える立場として、論理的に冷静に素直に受け止めて頂けたら幸いです。

忙しいとは思いますが、できれば、なるべく講義を無くしていく方向にもっていって頂きませんでしょうか。

 

代案は、講義で話す内容を活字にして読ませればよいです!

そんなことをしなくても、理数系ならば、優れた本が既にあります。

それを読ませればいいのです。

 

または、1回だけ講義をして、それを録画して、それを予め学生に見せてもいいです。

YouTubeに投稿している先生もいます。

 

それだけでは物足りないという人は、宇佐美寛さんの授業をマネしてください。

僕が今までで受けた授業のはるか上をいく内容です!!!

大学の授業』をご覧ください。

 

5.2.学生

現在は小・中・高・大のほとんどに講義がはびこっているのが現状です。

 

学校から講義が無くなるのには相当な時間がかかるでしょう。

高校や大学に進学を考えている人は、一度行かないで独学する選択肢を考えてみて下さい。

 

さらに、現在の学校で教わる内容は無意味になってきています。

詳しくは、以前書いた記事をご覧ください。(「2.1.得意な能力」の「・学力」)

sekaiwokaeyo.hatenadiary.com

 

大学でどの授業をとるか考えている人は、講義が少ない授業をなるべくとるべきです。

また、大学での勉強は非効率なので、大学を辞める選択肢を一度考えてみるべきです!

 

5.3.講演を聞きたい人

講義は効率が悪いとわかったので、講演はなるべく行かないほうがいいです。

せめて講演に行く前に読書をするべきです。

 

読書ならば図書館で無料で借りて、好きな時間に読めます。

これに関しては以前書いた記事をご覧ください。(「3.本は買う?借りる?」)

 

sekaiwokaeyo.hatenadiary.com

 

読書して浮かんだ疑問を解決したかったり、読書には無い情報を講演で言うなら行ってもいいかもしれません。

それでも、1対1でアポを取るなど、無料で効率的な方法を模索すべきです。

 

中には、本を書かず講演をする人もいますが、ニセモノが多いのでお気をつけてください。

 

6.さいごに

みなさんはどれだけ講義が有害か分かったと思います。

 

教師でなくても、会社などで講義(講演、説教、研修、新人教育?などなど)をする機会が有るかもしれません。

日頃の生活の中で、講義はしないように少しでも気をつけて頂けたらと思います。

 

それでは、講義が無い世界を祈って、アーメン。